今乗ってる車、昔乗ってた車、この先乗りたい車。その他、車に関するよしなし事。
アクセラとしては3世代目。マツダの言う第6世代、Skyactiv Technologyを全面搭載した車種としてはCX-5, Atenzaに続く車です。2006年頃にBMW 120dを試乗して以来、現代のディーゼルエンジンに魅せられた身としては待ちに待ったと言うべき一台。2013年末に予約、14年2月に購入。
大学に入ってほぼ1年間かけて貯めたお金で購入。78年式であったかしらん。550cc、2ストローク3気筒、グロスで27馬力。NA550ccとしては太い低速トルクで、軽自動車らしからぬ車重にもかかわらず1500rpmから2速発進が可能。ポロンポロンと独特の2ストロークサウンドを響かせながら京都市内から北山の林道にかけてを走ってました。今にして思えば非力なことこの上ない車でしたが、京都から富山まで走ったり静岡まで出かけたりと遠出もしました。いや、当時は元気であった。
外すのに5分・張るのに10分かかる、とてつもなく面倒くさい幌。それでも雨が降っていなければオープンをモットーにして風と埃にまみれて走ってました。夏は暑いし冬は寒い。オープンカーはやせ我慢の乗り物です。
ステアリングタイロッドをひん曲げたりエンジン焼き付かせたりマフラを落っことしたりマフラがへし折れたりの2年半、約5万kmを走破して後輩に譲りました。運転することの楽しさを教えてくれた車です。
かなわなかった片思い。
(2003-05-04 写真追加)
Jimnyの非力さに耐えかねて乗り換え。79年式だったかな。1.8L水平対向4気筒。今に至るまで私の所有した唯一のAT車。OHVとは言えターボで加給されたエンジンはグロスで110馬力を発揮し、当時にしてはそれなりの馬鹿力。他人様を乗せるにはJimnyより余程適した車だってのは言わずもがな。しかし富士重工がLegacyでシャシ性能に開眼する前のどアンダーな性格を乗りこなしきれず、僅か半年乗っただけであえなく神戸六甲山中で轟沈。…いえ、私が下手くそなだけという話もありますが。
事故った夜に、口説く。
89年式の最初期型。1.6L直列4気筒DOHC16valve。1tのボディにネット120馬力の出力。言わずと知れた、日本の誇る2シーターオープンスポーツ。始めて新車で買った車でした。私の運転技術には過ぎた運動性能はしかし快感のひと言。3年半乗った後、中古車屋に売却。
再びCCVに乗る。3.3L直列6気筒OHC。グロスで110馬力。10年落ち10万km走破の大古車。ボディのあちこちに錆もあり、トランスファの4Lポジションはトルクがかかると勝手にすっぽ抜け、塗装はくたびれ果ててPTOウィンチはクラッチが不調。まあそれでも丈夫な車で走る分には問題なし。ディーゼルエンジンのぶっといトルクは兎に角乗りやすい。パラグライダーに興じていた頃、便利な足としても活躍。友人に譲りましたが、オイル下がりが激しくなって最後は廃車されたようです。
Hard broken heart.
マツダがバブルの頃LANCIA車を正規輸入していた事は今となっては殆ど忘れられています。そりゃあまあ、軽自動車を主力に売っていたオートザム店で伊太利亜のプレミアムブランド車を扱うのは如何にも無理があったはず。道理を引っ込めてしまったのはやはりバブルの時代のせいであったのか。Thema/ Dedra/ Delta/ Y10の4車種を販売したけれど、2Lの4ドアセダンで大した売りもないDedraはその中でも不人気車でありました。
因みに、マツダが輸入を止めて以来LANCIAブランドの正規輸入は為されていません。また、FIAT本体の業績不振が取りざたされている現在LANCIA車が日本で復権することは望み薄でありましょう。残念な限りです。
96年に中古で購入。現在実走行距離10万kmを越えて尚現役。元からそれなりであったオイル消費がちと多くなった気はするが、5速で許容回転まできっちり回る程度にエンジンは元気。使えるだけの馬力、意外に出来の良いシャシ、品の良い内装、出しゃばらないスタイリング。端的に言ってお気に入りでした。
諸々はこちらに。
現在進行形の破綻。
ロータリーエンジンを搭載した唯一の現行生産車。しかし最も評価されるべきはホイールベースの内側に重量物を配置したレイアウトとそれが可能にしたアーム長の長いサスペンション、そこから生まれる運動性能でしょう。2004年に新車で購入。
因に210psのスタンダードモデルです。10年弱、15万kmを越えて次の車に乗り換えました。
2020-04-29更新
2003-03-09作成
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